jamバンドWEB小説

Music Maker MX2 特別限定版 jamバンド
第7話

 カノンが部室を出て行った時、無意識にホッとしている自分がいた。
そのことにすぐ気付いて唖然としていると、傍らのマリーがはらはらと腰を浮かせた。

「ぼ、ぼく、ちょっと様子見てきますっ」
 それを手で制し、マキが苦笑を向けてきたのはこちらだった。
「ここはリズムちゃんが行った方がいいんじゃない?」
 だよねー。それはそうだとうなずき、
「任せるニョロ!」
 と力強く胸を叩いてみたものの、自分でもびっくりしたことに腰が上がらない。
目をパチパチさせていると、脇から手を入れられてひょいと持ち上げられた。
「……はい」
「おお。カナちゃん、ありがとニョロ」
「……大丈夫?」

 案じるマキの視線がいたたまれなくて、平気平気、とリズムは背を反らして笑ってみたけれど、たぶんものすごくそらぞらしく響いていたと思う。
威勢よく部室を出てみたけれど、背中にはちくちくと皆の不安げな視線が刺さっていた。
 カノンとは今朝からろくに会話していなかった。
朝の食卓で声をかけようとすると逃げるように目をそらされてしまったので、それきりリズムもなんとなく口をつぐんでしまい、そのまま事務的な話以外していない。
 こんな調子でステージが上手くいくわけもなくて、何とかしなければと思うのだけれど、どうしても一歩踏み出すことができなかった。
 だからこれはいい機会だと思う。思うのだが、足は重かった。

 子どもの頃にも一度こんなことがあった。
ピアノの発表会で、二人で連弾することになったのだ。
あの頃リズムはまだカノンがそこまで自分に劣等感を抱いているなんて知らなかったから、のん気に構えていた。
そうしたら開演間際になってカノンが青白い顔でお腹が痛いと言ってトイレに籠もってしまい、結局開演には間に合わず、急遽リズムが一人でほとんど練習していなかった別の曲を披露することになった。
演奏自体は上手くいって客席からは拍手の嵐をもらったけれど、発表が終わってから赤い目で申し訳なさそうに自分を出迎えた妹の顔を見て、リズムはその時初めて、このままピアノを続けていいものかどうかという考えが頭をよぎった。
 あの日と同じことを繰り返したくはない。リズムは意を決してトイレへと向かった。
 が、中には誰もいない。ノンちゃーん、と一応声をかけてみるが返ってきたのは沈黙だけだった。
「ノンちゃんどこ行っちゃったんだニョロ……」

 ——————まさか逃げた?

 ちらと脳裏に浮かんだ言葉をリズムは恥じた。
トイレよりやや先にある階段の下にしゃがみこむカノンをすぐに見つけたからだ。
体は大きくなったものの緊張に青ざめた顔は子どもの頃のままで、リズムは胸が痛くなった。

「ノンちゃん」
 そろそろと声をかけてみる。カノンがうつむいていた顔を上げて、目を丸くした。その目はやはり、赤くなってうるんでいた。
「……お姉ちゃん」
「えっと……大丈夫ニョロ?」
「ご、ごめんね、すぐ戻るから……っ」
「あ、いい、いいニョロ、そのまま、その、ちょっとお話するニョロ?」

 立ち上がりかけたカノンの肩を押さえて、そのとなりに腰を下ろす。
衣装が汚れないように気をつけつつ壁に背中を預けるとひんやりして、上ずっていた意識が少しだけすっきりした。
 となりのカノンは身体を硬くして、触れたら壊れてしまいそうな横顔だった。
「緊張する、ね。……ニョロ」
 慎重に言葉を選ぶ。喉が渇いたけれど、ペットボトルは部室に置いてきてしまった。
「お姉ちゃんでも緊張するの?」
 固い、懐疑的な声に、胸の中でだけ苦笑する。
マリーがマキを崇めているのと同じくらい、カノンは自分のことを超人的に見すぎているきらいがある。
「当たり前ニョロ。今なんて、ほら」
 言いながら、カノンの前に手のひらを出した。あっ、とカノンが声を洩らした。
「ブルブルしてるニョロ? 武者震いじゃないよ。……ニョロ」
「お姉ちゃんも、緊張するんだね」

 ほんのわずか、カノンの声がやわらいだ。うん、とリズムは浅くうなずいた。
「実は本番に弱いニョロ。……だから、さ」
 曲げた膝の上で丸まっているカノンの手に手を重ねた。
カノンはびくりとして腕を強張らせたけれど、振り払いはされなかったのでほっとした。
「ノンちゃんのパワー分けて」
「……わたしなんかのじゃ、かえって失敗しちゃうよ」
「ノンちゃん」

 歯がゆくて声が震えそうになる。
カノンはいつも「わたしなんか」と言うけれど、そんなふうに自分を卑下してほしくなかった。
リズムにはない気遣いや優しさや、ピアノだって、カノンの素敵なところは数えきれないくらいたくさんあった。
リズムと同じようにできなくったって、それは自分を下げるものではないはずだ。
それをわかってほしかった。
カノンの弾くピアノはその人となりを映してとても繊細で、几帳面過ぎるきらいはあったけれど、その堅実な演奏は耳に心地よかった。
リズムは技巧に走りがちな自分の演奏より、カノンのピアノの方がずっとずっと素晴らしいと思っていたし、何よりも好きだった。
だけど言葉でいくら言ったところで、きっと今のカノンは素直に聞いてくれないだろう。
 だからあえて口にはせず、そうした思いが少しでも伝わればいいと、リズムはぎゅうっと手に力を込めた。

「ノンちゃんがそう言ったって、わたしはノンちゃんのパワーちょうだいしちゃうからね。最後のステージだもん。ノンちゃんと一緒に最高の演奏したい」
「………」
 カノンは何も言わなかった。またうつむいてしまったから、顔も見えなかった。
ただしばらくして、リズムの手を握り返してきてくれたことが、うれしかった。

「……部室戻ろっか。……ニョロ」
 手をつないだまま立ち上がる頃には、手先の震えは止まっていた。




※このお話はサ●エさん時空的な世界のお話です。時間系列は深く考えずにお楽しみください。